マクロスF 第11話「ミッシング・バースデー」

なんだ、えらく今回は情報量が濃いぞ?ちょっと情報の濁流の中で翻弄されそうになった。それもちょっと落としちゃいけない情報ばっかりで、結構ハラハラ。できれば、もう少し時間を割いて触るだけにしてる情報に重さが欲しかったかな。ヒュドラの件とかVF27の件とか。


見てて勝手に前回からずいぶん時間が経ったなぁ(前回自体が二ヶ月かそこらのスパンの話だと思ったし)と思ってたんだけど、前々回デビュー曲の告知をしてて今回デビューライブ直前て考えると、そんなに時間が経ってないのか?曲発売の一ヶ月前から告知し始めて、発売後1ヶ月前後以内にはデビューライブするだろうから、前々回から今回まで二ヶ月強と考えると、その中でどれだけの期間で映画撮影してどれだけの期間で人気沸騰したのか。何の仕掛けもしてない状態で簡単に町中にあれだけの写真が行き渡らないだろうから、一ヶ月弱は要るよなぁ・・・とするとあの映画ずいぶんと強行撮影スケジュールだよな・・・
あれ?ポストプロダクトや公開までの猶予とか考えると、あれ三日くらいで撮ってないか?あれ?デビュー曲・デビューライブの想定が間違いなのか?実際どうなってんだろう?


今更気付いたけど、この作品の三角関係の三人はスターになろうとしている人間・スターである人間・スターだったところから逃げ出した人間の三人なんだよね(なんか仮面ライダーアギトみたいだけど(^^;)。これにも絡むことなんだけど、この作品てアルトに関してどういう状況をハッピーエンドとして設定するのか、未だ不透明でそれ故に気になるんだよねぇ。「演じている」と指摘された現状をそのまま延長していく方向に今回は選択したわけだけど、それをそのまま貫き通していくことが理想という様にも描かれてもいない訳で。提示された三つの選択肢はそのままヒロインに対応した形になってた訳だけど、シェリルを選ぶとシェリルとは違う世界のパイロットとして彼女と対等につきあう関係に、ランカを選ぶと・・・いまいち不明だけどスターへの階段を駆け上っていくランカを支える恋人に、誰も選ばなければ役者としての道がある、と。まぁ、ランカの線は物語のカタルシスからして薄いとはいえ、どれも必ずしも否定されるべき価値観ではないんだよな。
シェリルを劇場版マクロス、ランカをTV版マクロスのミンメイとする考え方をしてる人がいて、自分もそれに非常に納得がいったのだけど、これを踏まえるともしかして両方選ばない、役者の道という選択肢が最終的に用意されている気もしてくるところ。


しかし、ねこ日記、こういう絵で来たか!ダイアモンド・クレバスの絵は結構飽きが速かったんで、これは嬉しい。


正直、きっこさんは2役だと思ってたんだぜ?