もっけ 第17話「スダマガエシ」

そもそも、コダマに自我を飲み込まれてしまうことが自分を確立することにつながる、という論理に対して瑞生が抵抗できないのは何故だろう、と。これって、巨大なカリスマに帰依することで自我を確立しようとする、まぁ現代の色々に対しての揶揄・警告なのかな、と思ってたら爺ちゃんが自我・個否定に話を進めて、そっちか!、と膝を打つ。最近のトミノ言行の影響もあって、結構テーマに丸ごと共感できる内容だった。何かに帰依してそこで自我を確立したと錯覚しているのと、自我なんてものは存在しないと考えるのは全く違うことでありながら、外見的には紙一重で、「国家への滅私奉公」とかへ安易に結びつけられる危険さがあるんだよねぇ。否定する側にも肯定する側にも。現代の過剰な個人主義は戦前戦中の全体主義への反省、というよりアレルギー、臭いものに蓋な反応なので、簡単に覆せないんだろうなぁ。