BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜 第8話「Hyoscyamus niger」

あれ、ミッチーにツバエル見えちゃっていいのか?夢うつつだから大丈夫なのか?(^^;


ミッチーの方の話って結構類型的なよくある話なんだけど、そこに異星人側の話が同時進行することで着地すべきリアリティの基準としても機能していて、そのやや既視感を覚えるようなストーリーが生きてきてるのね。もちろん、この作品らしい、感情の丁寧な追い方やキャラクター配置もあるんだけど。今回ちょっと珍しかったのは、その両方の物語を踏まえての感慨めいたものをツバエルが漏らしたこと。これはこれで面白かったのだけど、やや気になったのは上記の構造と微妙に食い違ってるからだと思う。いや、もしかしたらこれは、これから作品のリアリティの構造が変化していくということなのかな?