ウィッチブレイド 第24話「光」

OPが元通りになって歓喜。やっぱりこれが本来だよねぇ。エンドクレジット(クレジットは入ってないけど)で「あしたの手」が流れてたし、やっぱり曲変更は本意ではなかったのか、と勘ぐりたくなる。まぁ、OPは絵の問題をのぞけばなかなか悪くはなかったけど・・・


わかりやすいハッピーエンドにしなかったのは、ご都合主義になるのを避けたのと、あってはならないものは全て消滅させなければいけないという、雅音が梨穂子を脅かすものは全て排除しなければならないと誓う感情にも近い理念が作品にあったからだろうか。やっぱり雅音の母性の物語だったんだねぇ。雅音は過去を全て無くして、梨穂子の母として生き直しはじめることによって、母性そのものの存在となったわけだ。ある意味、もうそこに人格は無くて母性がただあるわけで。最終的に雅音が消えた時、雅音がかわいそうという感情がこちらにそんなに起きなかったのは、作品としての視点が雅音側にあることと、母性の化身としてその為すべきことを為した、子を守ることはもちろん、母性を求めるものたちに求めるものを与え全てを満たしたということが大きいんじゃないだろうか。子を守るという思いは鷹山にきっちり引き継がれているしね。そこに梨穂子の表情があってダメ押しとばかりに、その幸せが描かれる。この親子の物語はかなり過不足なく終われたんじゃないか。非常に面白かった。
ただ、やっぱりまりあ側はどうしても駆け足になり過ぎた感があった。行き着いたところはいいのだけれど、過程がしっかり描けなかったのには勿体なかった。せめて全26話だったらなぁ・・・。もう一つのメインストーリーと呼べるものだっただけに、母性の前にあっさりと屈服してしまった感があった。もう少し、状況とドラマを積み重ねた上での逡巡があってほしかった。惜しい。


最終的にウィッチブレイド状態でありながら目が人間のものだったりするようになったのは、あらゆる欲望や衝動は結果的には母性に取り込まれていったということなのかな。やっぱりこの物語の鍵だね。ウィッチブレイドを手に入れようとしていた、もしくは手中に納めた者が例外なく母性を求めていたという点はやはり大きい。ウィッチブレイドは女のあらゆる面の強化に働くわけだけど、それらが最終的には母性に統合されていく点において母性の象徴であり、同じく母性の化身たる雅音とは不即不離な関係であったわけだ。


最終回だけに作画も過去最高のもので、変なフックに引っかかることなくストーリーに集中できた。本当にいい作品だった。