もにょにょけしめ

久々に見てて、本気で面白いのはタタラ場からアシタカが出ていく所まで。
何かそれ以降半端になっていく。何故サンは言葉を話してしまうのか。しかも山犬達のようにテレパシー的なものでなく、口ではっきりと。人と森のマージナルな存在、サンだから彼らの言葉を理解できる、というのなら納得はいく。彼のヤックルとの関係もある。だが彼女がここで「人間の言葉」を話してしまう、話せてしまうことは大きな問題だと思うのだ。
つまりサンは人間とコミュニケーションが取れるのだ。これでは彼女の「もののけ」性は始めから不全のものとしてあることになってしまう。彼女が「もののけ姫」としてある前提が始めから崩れることになってしまう。
もうひとつ。サンを演じる石田ゆり子の一言めが下手で一気に興が削がれてしまう。加えて脚本の台詞が文語調と口語調が入り交じっていて不安定感がある。ある程度の意図はあるのかもしれないが、違和感は否めない。何よりも、宮崎の少女に向ける視線に同調できない違和感がある。
その後物語はしばし人間は人間、もののけもののけの政治劇に入る。これはこれでなかなかの面白さはある。ただこれもすぐに終わり、結局神殺しがクライマックスとしてある。やけに爽快感こそあるが、風呂敷を端っこだけ閉じてしまった感が否めないし、状況が丸く収まったわけでもないし、ラストに釈然としないものは残る。
壮大な未完作品を確信犯(正しい意味で)で作られてしまった感がある。美輪明宏やら森繁久弥やら強烈に存在感を示しているし、描かれたキャラクター・舞台・世界観は非常に素晴らしいものがあった。まだまだ生かす手は幾らでもあったはずだ。ついついTVシリーズなどという夢を見てしまう・・・。ただこれをやるためだけに用意された壮大な風呂敷で、それを贅沢に使ってしまうからこそこの作品がある、ともいえるのだが。
つまりこの作品はその未完性こそ作品性の最たるものの一つなのではないか、ということになるかもしれない。