電脳コイル 第17話「最後の夏休み」

ちょっと感想を書き辛くなってきたかなぁ・・・。
再開以降ずっとその傾向は見えてたんだけど今回は特にそうで、物語展開・登場キャラクターの内面からどんどん余裕が無くなっていって、誰も彼もが限界のところで切羽詰まってて、別にそういう作品が悪いというのではないのだけど前半と別物ともいえる雰囲気になってしまったのが辛い。前半を未だに引き摺ってる意識で見るとあまりにダメージがでかい。もちろん初期からそういう雰囲気も孕んだ作品だったのだけど、主客転倒どころか庇を貸して母屋を取られた感じ。あくまで軽妙なやりとりの中に重いものが時折見える、というバランス・対比が互いを引き立てていて好きだったわけで、後者一辺倒では埋没してしまう感じが否めない。
この作品の製作体制からすれば、そういうものが最終的に作品のメインストリームになることはわかってるはずなのに、そちらへのシームレスな移行が上手くいってない印象なんだな(途中に長い休止期間があったせいもあるとは思うけどね)。それなら小説版のように最初から陰鬱な始まりで良かったんじゃないのか?とも思う。それの中で軽妙なものがあればそれを過度に期待せずに楽しめるわけだし。


小学校最後の夏休み、というものに直面して無闇に焦りを感じるという感情の描き方は好きだし、これまで所々にそういうものがにじみ出ててしみじみと楽しんできたのだけど、今回それがハラケンの個人的な焦りと重なりつつヤサコのそれとは決定的に分離していくというのは面白かった。でも、全体の雰囲気の中でそれが埋もれていってしまったのが非常に残念。この作品て小学生であることを無視する流れが比較的多くて、今回は特にイサコにしてもハラケンにしても小学生であることを軽く超越してしまったキャラクターがメインに座って、あとはおまけのような内容だったものだから、小学生としてのリアリティはどこかに追いやられてしまった印象がある。本来、そこを補って内面だけでなく外界からのリアリティを構築していくのがもう一人の主人公ヤサコをはじめとしたそれ以外のキャラクターのはずなのだけど、作り手の意識としてあまりにハラケンとイサコに入れ込み過ぎてしまった結果、そちらが機能不全に陥ったんじゃないかと思う。