ウルトラマンメビウス 第50話 最終三部作 III 「心からの言葉」

seemad2007-03-31

惜しいなぁ・・・
5人が円陣を組んで手を重ねていくところに消えていたミライが光とともに現れる
シーンなんかは本当に良いシーンだったんだけど、その前後にテンポを削ぐ冗長さが目立って目立ってねぇ。GUYS sally go !、G.I.G.!の流れはいいんだけど、その後の全員での変身ポーズはどうせ光で飛んじゃってるし要らなかったぁ、とか、いちいちアップで表情を抜くんだけど時間もそうだしもっと視聴者の内面に委ねて良かったんじゃないか、とか思うことしかり。リュウがヒカリになるシーンももっとコンパクトで良かったと思うし(あんなに戦闘シーンはいらなかったかなと)、どうもスタッフの思い入れの強さもわかるし重要さもわかるんだけど、作品の骨格としてもっと尺を要する部分に力を注いでも良かったんじゃないかと。例えば、エンペラ星人の背景にあるものであったり、ゾフィとサコミズの交流とか。
エンペラ星人に関してはせっかく過去の埋もれた中から設定を引っ張ってきて、因縁も語られたのに、彼個人としてのキャラクターが最後まで不明瞭なままで、結局ありがちな悪役として終わってしまった。ゾフィとサコミズにしても唐突過ぎて、何が何やら。これまでの流れから彼等の関係はわかるし、全く意味不明というわけではないけど、あそこで唐突にあの展開になる必然性が薄すぎる。ファイナルメテオールを発動した後の「メテオールとは人間がウルトラマンを…」の台詞の直後ならまだ納得できたかもしれないけど。
もう一つゾフィがサコミズと一つにならなくてはならない意味もよくわからない。ストーリー構成上の意味としてはわかるけど、流れとしてはかなり不明瞭。他メディアからの情報を考えあわせるに、他のウルトラマンと同じように地球人とともに戦いたい、というゾフィの意志があるのかもしれないけど、それを何かしら表現しなければならなかったんじゃないか。
あと、ファイナルメテオールに込められたテーマ性はわかるけど、あれだけもったいぶってちらつかせるものではなかったなぁあ・・・。拍子抜け気味。


残念なところはまぁ置くとして、冗長さが目立ちながらも流れとしてはやっぱり良い内容だった。ミライも含めて自分の場所に戻っていく、っていうのはウルトラマンは最終回で帰っていくというお決まりの展開を自然にする上でも、第1話からの流れとしても
いいなぁ。それだけに、あんなかすかに触れるだけじゃなくても良かったな、って思うけど。
あと、やっぱり地球人とウルトラマンの関係というこの作品の一つのテーマの決着かな。ま、あんまり決着ついてる感じはないけど(^^;、少なくともなかなかのカタルシスは最後の戦闘シーンにあったし、それなりの結実はあったかな、と。
後番組予告にイラっときたくらいだから、色々言いつつやっぱり面白かったんだなと自覚する次第w


この作品をシリーズとして思い起こしてみると、中盤、だいたい「怪獣使いの遺産」前後からどうも失速感が否めなかったかな、と思える。前半は過去のシリーズの財産を生かしつつ、濃厚なテーマ性が折り込まれた非常によく練られた構成で、ほとんど不満なく面白かったのだが、中盤以降、練り込みがいまいちで論理的な構成が欠け、非常に感情的な構成が増えた気がする。構成の鍵となる敵の存在の消滅であったり、一つの目標であったウルトラマンと地球人の友好というものが達成されたから、っていうのはわからなくはないけど、最終的な局面にいたるまでの全体としての構成が不完全であったのはどうも片手落ちな印象が残る。
あくまで勝手な想像だけど、撮影が始まる、もしくは放送が始まるまでに中盤までの構成はほぼ完成していたんじゃなかろうか。そこから終盤までどう持っていくか、という段になって、すでに映像や現場で実際に演じられているキャラクターや演じる役者を見ることで、それらへの思い入れが感情的な構成を後押ししてしまったんじゃないだろうか、とかね。どうも、中盤からのダレ方(個人的な感じ方ではね)が気になってしょうがないんだよね。第1話は本当に衝撃を受けたんだけどなぁ。


とはいえ、やはり昭和ウルトラの流れは個人的にうれしかったし、その財産を巧みに生かしたストーリー作りは本当に面白かったし、大好きな作品であったことは確か。それだけに変節が気になったわけで。何よりウルトラに帰るきっかけをくれたことが本当にうれしいっていうのもあるし、この作品には感謝。