地元同窓の飲みである。いつものメンバーだったり、珍しいメンバーだったり、まともに話すのが何年振りだよってなメンバーが集まる。夜9時半に地元の隣の駅にw時間に関しては忙しい人が多いことがあるんだろうけど、場所はようわからん・・・さいたまから来る人が来やすいようにか?
2時間半以上飲んだ後、地元にてカラオケ。
何だか濃いことになっていく・・・w
いやぁ、俺やもう一人が濃いのは良いんだよ、相乗効果でちょっと飛ばし過ぎた感もあるが、まぁ(流行語大賞受賞につき検閲削除)だったし。
問題はある女の子。彼女はすんごいまともな人で、会社のリクルーター向けリーフレットの写真モデルに採用されるような模範的社会人である。過去に濃い文化に触れていたこと以外は。
少なくとも90年代中盤においては確実に彼女の方が濃かったと思しいが、ある時期以降そういう文化からは興味を失い、過去の楽しかった思い出と化していて、彼氏だって全く普通イケメソである。
その子はそれまでちょっと懐かしい、中高時代のヒット曲なんぞを歌ってたわけだが、ある時CoCoの曲を入れた。
らんま1/2の主題歌である。
まぁ、ここまでは良いでしょう。「何の曲?」「らんま」「あーそんな漫画あったよね」、もしくは「誰の曲?」「CoCo」紆余曲折、最終的には「あ〜懐かし〜」で丸く納まろう。
しかし、彼女は「何の曲?」と問われ、こう返した。
「DoCoだよ」(※わからない人は適当に単語と組み合わせてググれ)
彼女はCoCoの曲であることはもちろんわかっているが、あくまでDoCoの曲として歌っているのである。
もちろん、聞いた人間は画面表示に「CoCoって書いてあるじゃん!」と返すし、脇では「CoCoって羽田惠理香がいたグループだっけ?」という、ともすると好都合な記憶を蘇らせてる人もいる中、「DoCo」について説明を始める彼女、わかったようなわからないような顔をしてる周囲。
俺は苦笑するしかないのだがw、ふと思ったのは女の子ってこういう状況って許容されちゃうもんなのか?、ということ。男だったら(その人が普段どれだけまともな人だとしても)確実に周囲はどっぴきでしょ?
今回のメンツが良かった、と言えたりするのだろうか?


我々(というくくりがどれだけ未だに成立するかは別として)は、ともすればキリスト教大弾圧時代のローマ帝国におけるキリスト者みたいな存在である自覚ってあるじゃない?そのような自覚の無い潜在的かつ消極的同志がいて、そのあり方が勝手に同志的な親近感を抱いてしまった人間からすると非常に危うくノーガード過ぎない?って心配してしまうのである。
そしてそれが許容されている現状を見ると、その要因がどこにあるのか、自分の希望足り得るのか、自分の身を守るための知恵を吸収できるのか、という思考がどうしても働くわけである。


まぁ、いいや。
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っていうか煙草臭い。
そして今回のカラオケでここ一か月溜まっていたカラオケ行きたいフラストレーションが完全に霧散してしまった。あと数週間、カラオケ欲は湧かないと思われ。