昨日のを受けてふと思う

また大塚の影響バリバリではずかしんだけど。今更な話だし。
柳田とか折口とか(三島とかも?詳しく無いのよ)の来歴否認的なものを富野にも感じる。著書「だから、僕は」での出身地小田原への複雑な感情や、バイストン・ウェルへの近年の発言からそう思える。
バイストン・ウェルは折口のいう「妣が国」に当たるのでは、という訳。
富野は流石にバイストン・ウェルを自分の来歴とはしないが、バイストン・ウェルを人の輪廻の過程として魂の修練の場と設定していることは間接的に来歴否認、言い換えれば来歴妄想しているように思えるのだ。
ただ富野の特徴として、そのようなものを桃源郷ではなく非常にシビアなものとして設定する点である。そこには富野の自分自身へのシビアな視点がある。そして、そのシビアさは自ら設定したバイストン・ウェルを自ら否定する発言へと繋がる。
そこが先人と比較して非常に興味深く、富野に自分が惹かれる要因であるとも思う。と狭い所に落としてお茶を濁す