部室へ

seemad2004-11-29

新人は何かと部室に溜まりやすい。
設備投資したのだから活用するのは良いのだが、何か今更になってあの空間に違和感を感じる。
やはり思うのは、彼らと我々の間に既に大きなパラダイムの違いが生じてしまっていることだ。かつて我々がおたくの本道だとか基礎学力と信じていたものは既に失われて久しいことを痛感する。
かつて大塚英志が専門学校の教壇で味わったのとは微妙に違う断絶がそこにあった。大塚の場合は大きな年令差があったが、ここでは年令差は一桁なのだ。
かつてマニアとおたくはその性質によって厳密に区別され、おたくとはコミュニケーション能力に乏しいものを言ったという。(それをマスコミがいっしょくたにしてしまった)
今、まさにそのおたくの時代だろう。コミュニケーションを断ち、個人を基準としている。加えて「おたく」といっしょくたにされた人々の文化は、一部の特別な人々のもとから一般化し庶民化し拡散した。さらには細分化が進み、同じ「おたく」と呼ばれる人々の間でも、分野が違えば政治以上に他人事である。これは個人の欲望に端を発したことだからだ。
この状況の結果の最先端としてあるのがあの新人達であるように思える。彼らは現状をより純粋に反映している。我々の場合にはあくまで傾向であり、個人レベルで見られた状況が集団としてそこにあることに驚く。自分達は「おたく」であってもああはなるまい、とすら漠然と思ってたものが我々の一部としてそこにあることに戸惑いを隠せない。
だが、彼らを自分達と違うものとして否定するのは簡単だが、我々はその状況を招かぬための努力をしたか。自分がそうであるまいと皆が個人的に思っていて互いに共感していただけで、他社への働きかけとしてあったか。その点で他者にどうあるべきかを示さぬ我々は加害者であるし、過去の人々によって示されなかったことによって示し方を知らぬ我々は同時に被害者である。そして新人たちも被害者であり加害者である。
新人を含めた我々が被害者面をして責任追求しようにも、それは加害者たることから抜け出せぬ自分にかえってくる。キリスト教ではないが、せめて自分の罪を軽くしよう。
長々と書いたが、結局おたくも大学生になったんだから、中高生でもできることじゃなくて大学生にしかできないことを考えようぜ、ってこと。思考にせよ会話にせよ。実はここ読んでる新人さん、よ♪
途中、思いっきり内容がねじれた、な(^^;